領域代表より

領域代表より

早いもので、再来年には還暦を迎える。脊椎動物の比較形態学を極めようと、京都大学動物学教室、田隅研のドアを最初にノックしたあの日が、まるで昨日のことのように思い出される。しかし過去半世紀の間、生物の進化についての私たちの理解はどれほど深まっただろうか。一体、生物多様性の深奥に少しでも迫ることができたと本当に言えるのか。様々なセオリーが提出されては消えて行き、エヴォデヴォなる奇怪な研究分野が遺伝子による形態形成の進化を語ったところで、所詮概念ばかりが先行し、そこに見るのは商業ビジネスの潮流に押され必要以上に抽象化され、モデル化された空しい図式ばかり。それは、いま目の前にいるちっぽけな虫のかたちすら満足に説明してくれない。つまり、進化がまだリアルに体感できていない。そんな気がする。

あれは1980年の夏であったか、大学院入試の対策にと、私はポルトマンの訳本、「脊椎動物比較形態学」を幾度も精読し、暗唱できるほどになっていた。脊椎動物の体のことなら何でも聞いてくれとばかりに意気込んでいた。哺乳類の中耳など一番の得意分野で、あの複雑精妙な構造の進化的来歴を、軟骨魚類から始まり、原始的な四足動物を経、羊膜類の祖先から哺乳類における完成された状態まで、何も観ずに自分で描画できるぐらいマスターしていたものだった。

ある日あるとき、勉学に疲れて畳の上に寝転がっていると、ふと、飼っていたヤドカリがガサゴソと音を立てているのに気づいた。取り出してみると、そいつは驚いてすぐさま殻の中にスッと引っ込んでしまった。大きなハサミが見事に巻き貝の口を閉ざし、それがあまりに見事な造形だったもので、「アァ、私はこのような動物のかたちの一部すら、少しも説明することができないでいるのであるなぁ」と、妙な感慨に打たれたものだった。一体どのような必然があって、このような精妙な曲線が描かれているのであろう。そして、この動物の付属肢の関節のそれぞれのなす角度は、いったい何が決めているのであろう、そしてさらにそれが、どのように進化してきたのであろうかと・・・。機能的形態の論理や適応の論理が、一体どのような仕組みで、どのような過程を経て、この小さな動物の形態形成プログラムに刻印されてきたのであろうかと・・・。私は不意に、現象にまつわる謎の深さと、そこに隠れている複雑さの存在に気づかされ、しばし戦慄したのであった。

つまるところ、進化に関する私の理解はあの頃とあまり変わってはいない。さりとて、このままでよいとも思わない。いよいよ謎を解くべく、何かを始めなければならない。幸い、分からないことを言葉にする能力だけは多少上達したように思う。ようやく問題をまともに考える準備ができつつある、といったところか。

多様性と保守性は裏腹ながら、それらは表裏一体のものでもある。そして通時的な適応のロジック(それが多様性をもたらす)と通時的な保守性(それが相同性を表出させる)の拮抗を表現するのが、比較形態学や比較発生学である。ボディプランとはつまるところ、この相同性の束のことをいい、相同性とはゲノムから表現型を貫く適応的モジュールを指す。そして、それらモジュールはネットワークの形を成すことで束となる。重要なことだが、変化の要因の多くはしばしば内在的である。言語がそうであるように、高度に拘束されたこのネットワークにも、予想不可能なムラや遊びや揺らぎがあり、それらを足がかりに大きな変化が生ずることがある。すなわち、このムラの故に、それまで存在しなかったカップリングが起こり、揺らぎの大きさ故にデカップリングが起こる。それらが質的変化につながり、安定化淘汰を経、再現可能な発生プログラムとなり、結果、進化的新規性をもたらす(詳細は、拙著「分節幻想(工作舎、2016年)」を参照)。絶えざる進化のダイナミズムを突き動かすこの揺らぎと応答を記述することが進化の理解なのである。

科学の目的とは畢竟、自然観の完成とその体得に尽きると考える。そして、この領域の計画においては、それを目指す上で、最も欠けている部分を敢えて研究の俎上に載せてしまうことを目論んだ。それが、何を隠そうこの領域の本質なのである。この目論見においては進化生物学徒が興味を持つ様々な現象と関わりのある、真に本質的な問題に矛先が向けられていることが屹度分かるはずである。生物進化の拘束と方向性。それは、この世がかくの如くに見えている真の理由を問いかける命題に他ならない。そこには相同性もあれば、反復説も含まれる。並行進化や収斂の問題も隠れている。つまるところこれは、ヤドカリにかたちの謎を語らせようとするある種究極的な目論見ということすらできよう。動植物のかたちがなぜこのようなものでなければならないのか、そしてそれが洗練されて行く過程にどのように合目的性が入り込むのか、自然選択説や中立説を包含するのみならず、それらが扱うことのできなかった本質的要素を統合することを通じ、本領域は進化生物学の新たな理論体系の構築を目論む。この試み自体、進化生物学領域における梁山泊であり、自ら新たな潮流となり、進化研究を変える第一歩ならんと欲するものである。

2017年7月14日深夜 新橋のホテルにて風呂上がりに書く

倉谷